夏目漱石内坪井旧居

案内 漱石の足跡

夏目漱石内坪井旧居について

「熊本にいた間、私どもが住んだ家の中で一番いい家だった」と漱石夫人は語っています。
漱石が暮らした家が、当時の場所に残って一般に公開されているのは、全国でもこの旧居だけです。
館内には漱石の熊本での活動が分かる資料を多数展示しています。

インフォメーション

  • 住所: 〒860-0077 熊本市中央区内坪井町4-22
  • 料金: 無料 (一部公開のため、一時的に無料にしています。)
  • 駐車場: 無料 6台(大型車駐車不可)
  • 問合せ先: 熊本市文化振興課 096-328-2039
  • 特記事項: 熊本地震の影響により、庭園のみ一部公開しています。
  •       駐車場側からの出入りになります。通常の出入り口とは異なりますのでご注意ください。
  •       庭園内部にフェンスを設置しております。フェンスの先は危険ですので立ち入りはご遠慮ください。
  •       駐車場はご利用いただけます。

交通アクセス

■ 公共交通機関利用の場合
バス(坪井橋経由上熊本駅方面行き) バス停「交通センター」乗車 バス停「壷井橋」下車、徒歩2分
■ 自動車利用の場合
熊本インターから市街地方面へ、水道町交差点右折、藤崎宮前交差点を左折、熊本中央高校隣り

地図

漱石先生、熊本へ

 松山で教鞭をとっていた漱石は、熊本の第五高等学校教授になっていた親友菅虎雄に「五高で使ってくれ」と手紙を送りました。
 明治29(1896)年4月13日、五高の英語教師として池田停車場(現JR上熊本駅)に降り立ちました。 人力車に乗って新坂から薬園町の菅虎雄宅へ向かう途中、眼下に広がる市街地を見て”森の都”と言ったと伝えられています。

  • 五高記念館

    五高記念館

漱石の五高時代

 五高の英語教師として比較的平穏な学究生活を送りました。 当時の五高には、校長中川元、教頭桜井房記、英語科主任佐久間信恭、そして同僚に菅虎雄や漱石の漢詩の添削をした長尾雨山がおりました。
 五高時代から「教師を辞めて単に文学的の生活を送りたきなり換言すれば文学三昧にて消光したきなり」と正岡子規への手紙にしたためるなど、文学者としての道を考えていたようです。
 教鞭を執るかたわら、俳句の指導者として五高生たちと近代俳句の会『紫溟吟社』を結成しました。
 明治30(1897)年10月10日の五高開校記念式典では、教員総代として「夫レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ師弟ノ和熟ハ育英ノ大本タリ・・・」という祝辞を読んでいます。

  • 夏目漱石内坪井旧居

    夏目漱石内坪井旧居

漱石先生の結婚

 明治29(1896)年6月9日、「光琳寺の借家」で貴族院書記官長・中根重一の長女鏡子と結婚式を挙げました。
 列席したのは新婦の父親、東京から連れて来た婆や、車夫など総勢6名で、ささやかな結婚式でした。
 三三九度の盃が一つ足りないのも新郎はいっこうに平気で、後に夫人がそのことを話すと、「道理で俺たちは、けんかばかりしていたな」と笑ったといいます。
 式の費用7円50銭也。

漱石父親となる

 内坪井旧居に移ってからひどいつわりに悩まされていた鏡子夫人を必死に看病しており、そのときの様子を「病妻の闇に灯ともし暮るる秋」と詠んでいます。
 明治32(1899)年5月31日、熊本生活3年目に長女筆子が誕生。その喜びを「安々と海鼠の如き子を生めり」と、少し照れながら詠んでいます。
 鏡子夫人は「私は字が下手だから、せめてこの子は少し上手にしてやりたいという、夏子の意見に従いまして『筆子』と命名いたしました」と述べています。  現在、筆子の産湯に使った井戸が庭内に残っています。

  • 夏目漱石内坪井旧居

    夏目漱石内坪井旧居

漱石先生を慕った寺田寅彦

 漱石の教え子でもあり熱烈な漱石崇拝者であった寺田寅彦は、「物置きでもいいから是非とも書生においてほしい」と熱心に頼み込みましたが、 馬丁小屋の中を見てさすがの寅彦も住むことをあきらめたと言われています。

くまもとの旅

 同僚山川信二郎などと金峰山麓小天温泉や阿蘇の旅をしています。
 その体験から小説『草枕』や『二百十日』を著し、自然派や西欧文学への批判、金持ちや明治期の近代化に対する憤りなどを表現しています。

  • 草枕の道

    草枕の道